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『悪の教典』 上・下巻 貴志祐介

ネタバレがあります。『悪の教典』未読の人は、読まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

映像作家が、映画化しようとする小説作品は、

傑作である?

 

 

 

〇か✖か?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは、わかりません。

なぜなら、映像作家ではないから。

考えるだに、低コストで(これ考えるのは制作プロデューサーか?)

映像化しやすく、

ノリがよく、

時代に乗っていて、

わかりやすい。

 

こんなところかなぁ?

 

大好きな、歌野晶午さんの『葉桜の・・・』は、

映像化されてないですよね。

登場人物も少ないし、

現代劇だし、

コストもかからないし、

 

でも、この作品最大の魅力のトリックの映像化は、難しいのかな?

まぁ、映像化を考えてる人いると思いますけど。

もしかしたら、映像化したら、『陳腐』になるかもという心配はありますな。

 

少し前、テレ東で山本兼一作『利休にたずねよ』の映画を放映してました。

未読ですが、腐っても直木賞受賞作。

 

 

映像作品は、なんとも時間の流れを感じさせない、

しかも、演出の緊張感が最後まで一貫して続くいい作品だと感じました。

ブルーがかった、映像にも惹かれました。

原作未読なれど、成功した映像化ではないだろうか?

 

前置き長いですが、『悪の教典』も、映像化されています。(現時点未視聴)

なにに、食指が動いて映画化されたたか?

その原作は、上巻下巻ともに450ページですから、上下900ページ超の長編です。

そもそも、900ページの映像化って2時間では、難しいのでは?

 

上巻の感想と下巻の感想が、全く違います。

その点は、良くも悪くも、加藤廣『信長の棺』に似ています。

 

上下巻をさらに2つに分けると、4つに分割されます。

 

上巻の前半。

借家のカラスの殺害や、大家の犬のダークサイドな面はあったにしろ、

晨光学院町田校での主人公蓮見先生の評判その他、なかなかにいい雰囲気で学園生活が、

遥か遠い、僕の昭和の懐かし思い出とともに羨ましく思われる。

実際僕は、男子校だったけどね!!

 

しかし、作者が、あたたかく、やさしい、言葉や文章を避けていることによって、

楽しそうではあるけど、なにやら、心に、不安を感じさせる、

プロローグであることを知ります。

 

男女の差はあれど、ここで、引っ掛かります。

 

『ハスミン』

あえてこのような、アイドルのようなカタカナ呼称で、

身近に感じさせ、モテモテの男性教師に

僕でさえ、好感を持ちます。(好漢か?)

そこが、作者のうまいところ。

 

 

上巻、後半。

学院の教師や個々の生徒たちににスポットライトが当たり、

ダークサイドな面が、明らかになっていきます。

 

しかし、男性読者(オレだよオレ!!)は美彌との禁断の恋に、

作者が、一所懸命伏線を引いているお仕事を、

見逃してしまいます。

 

だって、男性教師と高校二年生の恋愛なんて、

それはそれは、魅惑的でしょ!

 

 

 

終いに、それは無理でしょ!!!!

と思わせるほどの、ミステリー初心者の僕でも突っ込めるほどの

安易な殺人を電車内で起こします。

印象的な、校長のスピーチは置いておいて、

下巻はこれで閉められます。

この安易な、殺人が、読者を困らせます。

この殺人当然見つかるでしょ?

 

大丈夫??

 

 

 

どうなるの下巻?

 

しかし、読んでいて、本当に楽しい。

 

ここでの、読者としての下巻への期待感は、すこぶる高い。

 

こんなに飛ばして、下巻どうなっちゃうの???????

 

でも、飛ばしすぎて、着地に失敗する作品は、いっぱいあるからね!!

気をつけてよ!

 

 

でも、すぐに、下巻のカバーを外して読み始める自分がいた。

 

下巻の前半は、明らかに下巻後半への助走だ。

 

上巻後半のほのかな期待を、ことごとく打ち破っていく。

 

サクサクと、物語は進んでいく。

 

歴史小説読んでいて、しまった、また、時代の解説かよとか、

両家確執の説明とか、資料を持ち出されると、

しかも、その説明が、長きに渡るとうんざりする。

 

悪の教典』はそんなことは一切ない。

ストーリーが放り出された矢のようにストレスなくすごいスピードで

突き進んでいく。

なんとなく、変な方向に進んでいるも、乗った船を降りることはできない。

 

そう感じるのはなぜだろう。

 

なぜなら、少しだけ、心がブレーキを引いてるから。

 

進む方向が分からない。

 

不安である。

 

大丈夫かなぁ?との疑問符を吹き飛ばすかのように、

 

下巻後半、 

 

主人公蓮実聖司は、高らかに、

 

クラス全員の殺害を予告する

 

しかも、作者は、

 

急に、

物語を時間で縛り始めた。

 

なぜかはわからない?

今は何時であるかを、読者に問い続ける。

あと何人殺せば、宿題を終わらせられるかを問いかける。

急に殺戮ゲームに変わった。

小説からゲームへの脱皮だ。

 

これって、もしかして、高見広春

 

年代的には、ほぼ8年前出版の『バトルロワイヤル』

さんざん、真似されてきた作品へのオマージュとも思えない。

 

 

あとは、

 

殺すだけ!

 

 

ただ、それだけ。

 

そこには、ストーリーの遅滞のないスピードだけが、重要視される。

 

この、上巻との明らかに違うスタンス、コンセプトには、違和感を覚える。

 

この下巻に対する違和感は、最終章のくだらないダジャレに収束する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 900ページ読ませといて、これはないんじゃないかな?

 

実は蜘蛛でした!みたいな

 

 

 

 歴史小説も、殺戮は常に存在する。

毒殺もあれば、忍びによる、静かな殺人も多々ある。

毒殺された殿様にも悲しんだ家族がいる。

てごめにされた、農家の娘にも、悲しむ親が居る。

 

ユダヤ人にも、朝鮮人にも、殺められた人には、みな、親が居る。

アウシュビッツの悲劇は、二度とあってはならない。

 

当たり前のように、明治維新以降日本は、領土拡大のために、

海外でたくさんの血を流させてきた。

日本が、アジアで繰り返してきた、非道の様は繰り返してはならない。

ここに帰結する気はないが、広島長崎の二の舞はごめんだ。

 

大東亜戦争に突き進むにおいて、

 

『洗脳』は、

 

政府において、重要な政略であった。

 

 

『洗脳』

 

 

 

『洗脳』

 

 

 

 

 

『洗脳』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

クラス全員皆殺し。しかも教師が。

このような小説を読んで、

平成の子供たちが、

校庭で、サッカーも野球もせず、

これまた、殺戮のゲームに興じてる。

太宰も夏目も三島も読まずにこんなことしてる。

 

別に、重松でも、辻村でも、万城目でもいい。

 

日本は、大丈夫だろうか?

 

 

仕事柄、

 

 ここ10年、子供と親たちが変わってきているのを目の当たりにしている。

 

親は、しつけない。しつけられない。しつける気もない。

子は、考えない。考える気もない。我慢できない。

 

どこかで何かを変えないと、

 

悪の教典』のようなことが、本当に起きるかもしれない。

 

夢見事ではなく、近くの学校で。

 

大人が、考えなくてはいけない。 

 

 

 

 大人の努力が、多摩川に鮭を呼び戻したように、

日本が、長崎以降戦争をしていないように、

 

子孫に対して、

きれいな空気と、きれいな水と、適正な温度、を

残してあげないといけない。

 

それには、何にもまして素敵な心を伝えていかないといけない。

 

 

 

素敵な心を伝えていかないと。 

 

 

 

 

 

2016.12.26                          続く